みんなかわいい。みんな大好き。
だけどその内容は違う。
その子によって求めるもの、その子との歴史、その子の性格、などなど、いろんなことを加味し、思い入れがそれぞれ違う。
私は長子の長女だ。
それはそれは家でも学校でもバッチバチに教育されて育った。
家の中では「お姉ちゃんでしょ!」に我慢する以外の選択肢なんて、あるはずもなかった。
お姉ちゃんでしょ、と我慢させられ、お姉ちゃんでしょ、と全てやらされる。
そのストレスなのか、私はとても性格の悪い子供だったと思う。
人が嫌いになったわけではない。
むしろ人は好きで、気づけば接客業ばかりしてきた。
でも、深く関わるのは苦手だった。
好きだけど、一線は越えて欲しくない。
それが私の対人距離だったんだと思う。
こんな我慢を、自分の子供にはさせたくないと強く思っていた。
そしてありがたいことに、私が産んだ長子のみやこさんも女の子。
全て変えられる!と思った。
私の歪んだ部分を真っ直ぐに育て直したい!
産んだ娘に私を重ねながら育児した。
とにかく可愛い。シャキシャキしていた幼少期の私とは違い、少しぽや〜っとしていたこともあり、とても可愛い。そしてもちろん顔もかわいい。
それはもう、私がしてほしかった「長女への扱い」を全部やった。
まずはお姉ちゃんと呼ばせない。
お姉ちゃんだからと我慢させない。
お姉ちゃんだからと長女を二の次にしない。
こんな感じ。
名前で呼ばせて、長子を最優先に。
なんでって?長子だもん。
感覚としては、犬の多頭飼いにちょっと似ている。
一番最初にいた子をまず安心させてあげる。
そうやって順番に
よーしよしよしよしよし、とする。
それを続けると、
数年経った今、お菓子何食べる?と聞くと、みやこさんはこう言う。
「何でもいい〜、どれでもいい〜、最後でいいよ〜」
あの頃の私と、同じセリフに聞こえるかもしれない。
でも中身は真逆だ。
私の「我慢」は、我慢させられたから出てきた我慢だった。どうせ言ったって無駄でしょという諦めもある。
同じ言葉でも、出どころが違えば、子供の中に残るものも違う。
愛されているという土台があると、譲ることは我慢ではなくなる。
するとね、上が下を可愛がるのよ。
私はね、厳しく育てられた。
それはもう。
私の妹はね、びっくりなんだけど、叱られずに、褒めて褒めて育てられたのよ。
同じ親から生まれた、同じ姉妹なのに。
私には「お姉ちゃんでしょ」と言い、妹には「叱らない教育」をしたんだって。
びっくりでしょ?
同じ親から生まれて、同じ家で育っても、上には厳しく、下には甘く。
親も決して差別してたわけじゃないと思う。
母なりに、それぞれの性格を見て育て方を変えていたんだと思う。
それが正しかったかどうかは別として。
こう書いていくと毒親ですか?と聞かれそうだけども、香ばしいわね。
私の幼少期は本当に意地悪で(妹にだけ)
本当に嫌な姉だったと思う。
妹が直接悪いわけではないのにね。
目の前で私だけ怒られる場面だらけだと、そりゃあ歪むわよね。
だから私は意識して上から順番に、尊重した。
みやこさんの言うことを聞きなさい。
ひーくんの言うことを聞きなさい。
みやこさんに対してなんて口の利き方?
ひーくんに対してなんて口の利き方?
とまぁある程度上の子も面子というものがあるので、間違ってなければ尊重してきた。
子供が小さいうちは手もかかる。
でもそれは「小さい子のほうが可愛いから」ではなく、「ひとりではできないから手をかけているだけ」。
そこは上の子にも、ちゃんと言葉にして伝えていく。
愛情は平等じゃない。
量が全てでもない。中身が違うから。
でもそれは不公平とは違う。
ちゃんと全員にそれぞれ愛情表現をする。
それが巡り巡って、上が下を可愛がる形で返ってくる。
順番に可愛がってるから、誰か一人だけ可愛がってないなんてことはない。
ただ、下2人が年子だったせいで、ひーくんには寂しい思いをさせたなと、私は思っている。
私は「もっと構ってあげればよかった」「もっと愛情をかけてあげればよかった」と、今でも思う。
でも、それってあくまで私が思う「愛情の量」なんだよね。
ひーくん本人が、どれくらいの愛情を求めていたのかは、私には分からない。
案外、本人は何とも思っていないのかもしれない。
愛情って、欲しい量も、欲しい形も、人それぞれなんだろうね。ただ、下2人が年子だったせいで、ひーくんには寂しい思いをさせたなとは思う。
ただ、親としては子供達がどんな形や量の愛情を求めているのかは手探りだけど、常に溢れるぐらいは注いでおきたいわね。
子供達は仲良くしていますが、相変わらずひーくん宇宙人と私はまだ、意思疎通はできません。

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